音楽とか、考え事とか

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日々考えたことを書いています。

仲間意識で大事なのは見た目と言語

先日から大騒ぎの「大坂なおみ選手の全米オープン優勝!」ですが、それについてちょっと思ったことを書いておきます

 

まずは、大坂なおみ選手おめでとうございます

その若さで世界を取るなんてとんでもないことだと思います

 

なのですが、「日本人初のテニス4大大会で優勝!」にしては日本国内の騒ぎが限定的な気がします

あくまで「スポーツ界で」騒いでるだけで、今のところ社会現象になっていない印象なんですよねー

 

日本人が始めてテニスで世界一位になったんですよ?

もっと大騒ぎして、お得意の「ニックネーム」がつけられて、もっと日本全体で「なおみフィーバー」が起きてもおかしくないと思うんです

 

でもそうはなっていない。

 

まあテニスが日本においては、サッカーなどに比べて人気自体が限定的ということもあるんだと思いますが、なんかそれだけじゃない感じ、わかりやすく言うと「ヤワラちゃん」や「Qちゃん」とは扱い方が違うように感じるんです

 

そんなことを感じながらモヤモヤしていたんですが、会見の動画を見た瞬間にスッと腑に落ちました(ずっとテキストと画像でしか追っていなかったんです)

 

 

大坂なおみ選手は日本語がカタコトだったんですね、ナルホドナットクといった感じです

 

名前がモロに日本人で、出身も大阪、見た目は南国の香りがしてても日本人っぽい顔立ちなので、ここまでは「同じ日本人」感があります、たとえ他国とのハーフであってもです

 

でもカタコトの日本語を聞いた瞬間に、多くの日本人が「自分たちとは違うな」と感じたんじゃないかな?

「あれ?」「やっぱハーフだから?」「っていうよりむしろガイジン寄り??」そんな声が聞こえてきそうです

大事なのは「血」ではなく「仲間意識」であり、それが「騒ぎが限定的」の根っこのにあるってことなんでしょう

 

「ハーフに対する差別感」については前にも書きましたが

 

rikutukoneo.hatenablog.com

 

rikutukoneo.hatenablog.com

 

この感情はホントに根深いんだなー、とニュースなどを見ていて改めて感じました

 

世界でトップを取り、一躍人気が出て社会現象化したトップアスリートの方はこれまでに何人もいらっしゃいます

柔道のヤワラちゃん谷亮子選手)、マラソンのQちゃん(高橋尚子選手)、フィギュアスケートのまおちゃん(浅田真央選手)、同じくフィギュアのゆづ(羽生結弦選手)・・・

 

愛称がつけられて、テレビに出演しまくり、国民的な人気者として不動の人気を誇ってきた選手たちです

 

ですがもし、これらの選手がカタコトの日本語だったら・・

ここまで国民的なスターにはなれなかったように思います

 

もちろん優れた選手に対しては尊敬の念がありますので、たとえカタコトでも「アイコン」として人気は出ると思うんです

でもそれはあくまで「優れたアスリート」というアイコンであり「同じ日本人として誇りに思う」という感情にはならない気がします

その民族を象徴する「言語」を自然なイントネーションで流暢に使いこなせてないと、どうしても仲間意識を持てないということなんでしょう

 

オリンピックで金メダルを取った「日本国籍」の選手が直後のインタビューに「流暢な英語」で答え、最後に「ニポンノミナサン、オーエンアリガトゴジャイマス」なんて言ったとしたら、素直に興奮して熱狂できますか?

 

これがいま起こっていることなんだと思う。

 

まったく違う分野ですが女優の沢尻エリカさんを「ハーフ」として意識している人は少ないでしょう

それはやはり見た目がモロに日本人で言語も自然な日本語だからだと思うんです

 

顔立ちやイントネーションが「自分たちと同じ」なら、僕たちはその人物の出自にはあまりこだわらないってことになりますね

 

※自分たちが「見下してる国」の血が入っていることが発覚すると、突然叩きだしたりして不快ですが。

 

見た目が自分たちと同じで、同じように日本語を自然に使えるか?

それらをクリアして初めて「仲間意識」を持つことができ、人々はその「人物自身」に熱狂するんだと思います

 

国籍、血統、出身国、育った環境など、その人物を印象付ける要因はいろいろとありますが、日本人にとって大事なのは「そこ」ってことですね

 

そしてこれは、これからのいろんな分野の「日本代表」を作るうえで大きな懸念材料だと思うんです

 

グローバル化が進み、民族がまじりあう中で「その国の代表」をどのように形作るか?

例えば日本代表の大半が「ハーフ」や「帰化した人」で、さらに日本語を自然に話せない人が多く出だしたときに、今までと同じ気持ちで応援できるでしょうか?

パッと顔を見ただけでは戦っている双方のどちらが日本代表なのかがわからないとしたら、僕たちはその勝利に熱狂し、敗北に胸を痛めることができるでしょうか?

 

 大坂なおみ選手の一連の騒ぎを見ていてそんなことを思いました

 

ではでは