音楽とか、考え事とか

日々考えたことを書いています。

「834.194」は、本当にサカナクション最後のスタジオアルバムになるかもしれない

それぐらいの完成度と覚悟を感じるアルバムです

 

とにかく「やりきった感」がすごい!

いま持てる全てのエネルギーと、これまでの長い長い葛藤を叩きつけたような作品です

 

 

明確なコンセプトに基づいて制作された2枚組アルバムで、Disk1は「東京盤」、Disk2は「札幌盤」という位置づけになっています

 

東京盤には、大衆に評価されることを意識して作られたであろう「外向きの曲」が収録されています

新宝島」「多分、風。」「陽炎」などですね

 

それでも「アルクアラウンド」や「アイデンティティ」ほどの大衆性はなく、後述する「ドロップアウトする」と決めた自分たちの気持ちが保てる、ギリギリのバランスで作られた、精いっぱいの外向き曲たちなんだと思います

 

※東京盤では「新宝島」の歌詞の深さに改めて驚愕しました

 

 

札幌盤には「大衆の反応に対する意識」をできるだけ排除して作られたで「内向きの曲」が収められています

 

コアなファンならDisk2を聴けば震えますよ

まるでライブを観ているかのように、後半に向かってこみ上げてくるものがあります

 

この曲順のまま、再現ライブやって欲しいなー

 

「グッドバイ」から始まるDisk2は「探してた答えはない」という歌詞から始まります

「ここにはたぶんないな だけど僕は あえて歌うんだ わかるだろう? グッドバイ・・」と歌い上げる「大衆性からのドロップアウト」の決意表明から始まるのが、札幌盤なんですね

 

その次の「蓮の花」では「苦しむ僕を引っ張り上げてよ」と悲鳴を上げ、「ユリイカ」では「それはそれで僕は生き急ぐな」と自分たちを取り戻そうとし、

「ナイロンの糸」では「この海に居たい」と自分たちの居場所への執着を叫び、でも「この海に帰った振りしてもいいだろう」ともう二度と戻れない寂しさを歌います

 

そんな寂しさをふと感じてしまう心情を「茶柱」で表現しているように思います

余計なアレンジを一切排除したピアノとボーカルのみの編成で「何もいらないはずなのに」「君の夢も見たくないのに」と嘆きます

 

寂しさや哀しさを感じたときに、それらときちんとむきあいドップリ浸る、浸ることでそれらを理解する、自身の血肉にする、そんな曲だと思います

 

山口一郎さんはインタビューで「集中力を持続させるのに玉露がいい」と話していたので、おそらく制作の合間に淹れたお茶に揺れる茶柱を見て、フラットな気持ちでボンヤリと思い浮かんだ言葉なんじゃないかな

 

お金や名声なんかいらない、ただ好きなことをやりたいだけなのに、なぜこんなに苦しいんだろう・・

 

そんな風に歌っているように感じます

 

でもまだやれるはずだ・・

そんな曲が、次の「ワンダーランド」です

 

この曲はとにかくギターリフがすごい!

諦めずに戦う意思を、立ち上がろうとする熱意を、イントロから強く感じます

 

そんな音に乗せて

 

「雛だって卵の殻を割らないことには何も始まらない」

「外の世界がどれだけ怖くて不安でも、触れてみないと何もわからない」

 

と歌い上げます

 

そうやって負けそうになる自分たちを鼓舞する曲なんだと思います

「君は深い」と何度も繰り返すのが非常に印象的です

 

でもこの曲は最後、ノイズに飲み込まれる形で終わります

 

そんな気持ちも世間の雑音に飲まれてカンタンに見失ってしまう、そうしていつも悩み迷ってしまう・・

そんな弱さを表現しているように感じます

 

そして「さよならはエモーション」ですね

この曲がDisk2の、このアルバム全体のクライマックスだと思います

 

アルバムでこの順番に並べられると、歌いだしの「そのまま そのまま」は前曲のラスト、ノイズに飲み込まれた状態を指しているとしか思えません

 

すぐに世間の雑音に飲み込まれる「いたいけな僕たち」、そのままの状態でコンビニで缶コーヒーを買うんです

 

コーヒーは喉が渇いた時に飲むものではありません

喉が渇いた時は水を飲み、刺激がほしいときは炭酸を飲み、高揚したいときはビールを飲むのがフツーです

コーヒーは心が渇いた時に飲むものです

飲んで一息つき、落ち着いて自分を取り戻すために飲むのが、コーヒーだと思うんです

 

だから「そのまま」の状態で「缶コーヒー」を買うんですね

 

そしてレシートは捨ててしまいますが、これは「記録を残さない」という意味だけではないと思います

「捨てた」「捨てた」と何度も繰り返すのは、捨てているのが「自分の未熟さ」だったり「無邪気な淡い希望」だったり「世間に対する迎合」だったりするんじゃないかな

 

そうやって捨てていくことを「さよならはエモーション」と表現しているように思います

 

 そしてその歌詞の中で

 

「さよなら僕は夜を乗りこなす ずっと涙こらえ」

「忘れてたこといつか見つけ出す ずっと深い霧を抜け」

 

と強い決意を叫んでいます

 

この決意こそが、この二枚組のアルバムで伝えたかったことなんじゃないかな?

 

元々歌詞が強く、ラストの展開が感動的な曲で、ライブで聴くたびにいつも泣いてしまうんだけど、このアルバムに入るとここまでメッセージが強くなるんですね

 

それ以外にも、シングルとして発表していたそれぞれの曲たちが、実は一本の線で繋がった「活動していく上での信念」を歌っていることを、アルバムを通して教えてもらったような気がします

 

そしてそのまま「834.194」というインストメンタルに繋がっていきます

 

これはこの後の、このアルバム最後の曲に着地させる非常に重要な役目を担っています

 

いま戦っている場所と原点までの距離、その間の時間の流れの速さ、水面から自分たちの居場所である深海までの深さ・・

 

そういった解離性を表現しているんじゃないかな

 

そしてラストの「セプテンバー」ですね

 

この曲は「誰かに聴かせるためじゃなく自分たちのためだけに作った曲」とコメントされていますので、これがきっとサカナクションの原点なんでしょう

 

僕たちはここから始まった

東京に出て変わってしまったこともたくさんあるけど、ずっと変わらないこと、これが僕たちの原点なんだ

 

そう言っているように聴こえます

 

そうやって最後まで聴いた上で一曲目の「忘れられないの」に戻ると、最初に聴いたときとはその聴こえ方が全く違います

 

アルバムってエンドレスで聴くものだから、そこはかなり意識しているはずです

 

かつて二枚組アルバムは1枚づつ聴くものだったけど、現在は(最初に聴くときは)2枚並べてプレイリストに入れて聴く人がほとんどでしょう

 

そこも意識して、1枚づつでも2枚並べて聴いても、共有したコンセプトを感じられるように作られているように思います

 

Disc2だけ聴き続けて潜りっぱなしになるのでもなく、「2枚目暗くてつまんねーよ」なんてDisc1ばかり聴いて表面だけさらうのでもなく、ぜひ2枚並べて聴いてほしいですねー

 

「忘れられないの」から「さよならはエモーション」までで「これまでの葛藤の日々」を表現し、「834.194」から「セプテンバー」で原点とその解離性を表現し、その後一曲目に戻るほんの数秒で「原点から現在まで」を表現しているだと思います

 

「そのバンドを知るには最も古い曲と最も新しい曲を聴くのが手っ取り早い」

 

ってことですね

 

そうやってエンドレスで聴いてしまう沼のようなアルバム、ホント完成度が高い、もうサカナ沼。

 

しばらくはこれしか聴かないだろうし、この先の僕の人生において大事な大事なアルバムになりそうです

 

ではでは

 

※聴くたびに発見があるので、その都度追記します