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理屈こねおの理屈をこねるブログ

日々考えたことをこねくり回して書いています。

孫にするべきたった一つのこと

私には幸い父方と母方と両方の祖父母が健在でしたので

親に連れられて子供の頃から両方の家に遊びに行っていました

 

ですが、やはり好き嫌いはあるもので

無条件にあったかい気持ちになる相手もいれば

なんとなく距離を感じる相手もいます

 

血がつながっているとはいえ人間関係はいろいろありますね

 

そうなった原因は何なのかな、とオトナになって考えてみたのですが

ポイントは「歓迎してくれていたかどうか」に尽きると思います

 

遊びに行って最初に顔を合わせた時に

「よく来たね」とにっこり笑って歓迎してくれればそれでOKなんですね

 

お小遣いをくれるとかおもちゃを買ってくれるとか

そんなことはどうでもいいんです

 

子供時代に自分自身が歓迎されていたかどうかを

敏感に感じ取っていたんだなと、今になってしみじみ思います

 

赤ちゃん~幼児の頃は無条件に可愛いですから誰しも可愛がるのですが

小学生ぐらいになると人見知りで近寄ってこなくなったり

逆にクソ生意気な口を利くようになったりします

 

その時に笑って相手をしてくれればいいのですが

少しでも煩わしい気持ちになると子供って敏感に感じ取るんです

「ああ、自分は歓迎されていない」ってね

 

その原因が自分の振る舞いにあっても、そんなこと子供にわかるはずもなく

なんとなく距離を感じてしまうんですね

 

これ、その先もずっと引きずりますから注意が必要です

 

僕は片側の祖父母(あえてどちらが方かは言いませんが)には可愛がってもらった記憶がなく

やはり未だに足が遠のいてしまっています

 

その祖父がなくなった際にも哀しみは全く無く、事務的に葬儀に参列しただけでした

 

残された祖母は一人暮らしをしていますが、やはり普段は顔を見に行くことはなく

年始の挨拶に一度訪れるだけになっています

 

こう書くと「年老いたおばあさんが寂しがって可哀想」という風に思うかもしれませんが

僕に言わせると、これまでの行いがそうさせているんです

 

子供の頃に親に連れられて訪れた際に顔では笑って迎えてくれていても

本心では面倒くさがっているのがわかりましたし

 

お小遣いはいらないと言っても無理やり握らされて

「もらっといたらいい」と逆にたしなめられたり

 

高校生ぐらいになると自転車で祖父母の家の近くを通っても

立ち寄るのが億劫で素通りしていると

「近くを通ってるくせに全然来てくれない」

とわざと聞こえてくるように僕の母親にチクチク愚痴ったり

 

そういうことが積み重なって今に至ってるんですね

 

年老いて弱ったからといって急に好きになることはありませんし

亡くなっても涙をながすことはないでしょう

 

大人げないと言われるかもしれませんが

心の中に大事に思う感情がないんですから仕方ありません

 

思春期の頃のようにあからさまに避けることはなくなっても

積極的に関わっていこうという気持ちは湧いてこないんですね

 

 

自分たちが年老いて弱った時に孫が時々顔を見に来てくれるかどうかって

そういうことなんだと思います

 

孫が生まれた祖父母の皆さん

しっかりと歓迎してあげてくださいね