音楽とか、考え事とか

音楽とか、考え事とか

日々考えたことを書いています。

僕たちは物語に洗脳されている

「大事なことは物語から教わった」と思っています

 

漫画、小説、映画、ドラマなど、なかでも特に漫画から「人生を生きる上で大事なこと」を学んできたように感じています

 

 

子供の頃は暇さえあれば漫画を読んでいましたので、僕の行動規範の大半は少年漫画から得ていると言っていいと思います

 

でもやはり、物語は物語です

世の中の真理が描かれていることも多くありますが、その作者や時代が求める美徳が刷り込まれていることもよくあります

 

例えばアンパンマンは顔が傷むと力が出なくなるのに、子供を元気づけるために顔をちぎって食べさせたりします

これを見ている子供たちは「自己を犠牲にしてでも弱者に尽くすべきだ」という概念をすりこまれてしまうかもしれませんね

 

まあこの例はちょっと大げさですが、これが手塚治虫作の「ブッダ」の話になるともっと刷り込みが強くなります

 

ちょっとうろ覚えなのですが・・

 

山で休息をとるブッダをもてなすために、クマはその腕力を使って川で魚を取り、キツネは知恵を使って木の実を集めてくるんだけど、力も知恵もないウサギは「僕を食べてください」といいながら焚き火に飛び込んだ・・

 

といった感じだったはずです

 

これを見て「なにもそこまでしなくても・・」と子供心に感じたのですが、「バカなことをしたもんだ」とは思いませんでした

むしろ命を投げ出してまで相手に尽くす姿に、小さな感動を覚えたぐらいです

 

本来なら、食料を調達することができないのならクマやキツネが取ってきた物を焼いたり皮を向いたりと、調理をすればいいんです

もしくは話し相手になって間を持たせたり、食後の就寝のために葉を敷き詰めて寝床を作ってもいいですね

 

でもそういったことをせずに自らを犠牲にするのは「思考停止」そのものですが、この逸話ではそれを美徳にしているようにも感じます

 

大人になってからなら「これは化石のような美徳だ」と理解できるのですが、子供の頃にここまで思考を巡らせるのは難しいと思います

 

他にも物語に「刷り込まれていること」は思っている以上に多くあります

 

物語に出てくるお金持ちは「いけ好かないやつ」ばかりですが、これは読者の大半が貧乏人だからです

 

実際のお金持ちは、視点の違いで話が合わないことは多々あるでしょうが、そんな嫌な奴ばかりではありません

 

むしろ、いけ好かないやつがそう簡単にお金持ちになれたり、その状態を維持できたりしないでしょう

 

でも、お金持ちを悪者にしたほうが読み手の共感度が上がるんです

 

 

物語に出てくる「突出した能力の持ち主」はたいてい何らかのハンデを背負っています

心臓が弱く30分しかプレーできない、コントロールを間違うと自身の体がダメになる、などですね

 

これも、そうしたほうが物語が盛り上がるからです

 

そういったキャラはたいてい、能力の限界を超えて戦うことになりがち。

その結果、女子マネージャーがスタンドで「もうやめて!死んじゃうわ!!」なんて叫んだりしてハラハラ感を煽ってきたりします

 

これも自己犠牲ですね。

 

もちろん読む方はあくまで物語として読んでいるので、そのまま日常生活で真似することはありません

 

でも子供の頃から刷り込まれた自己犠牲の精神は、高熱を出して家で安静にしてる自分自身に対して小さな罪悪感を抱かせてしまったりするんです

 

「ちょっと熱も下がってきたし、ただボーとしてるのも気が引けるな」

「メールやLINEでなら打ち合わせができるんじゃないか?」

「自宅のPCにデータを転送してもらって分析するぐらいなら・・」

 

いや、寝てろ!

 

あなたのオフィスにもゴホゴホ咳をしながら「頑張ってるオレ」をアピールしているおじさんがいるかも知れませんが、それは昭和の自己犠牲系の物語のせいなのかもしれませんね

 

まあ、だからって大目に見る必要はありません

上司に申告してオフィスから追い出しましょう

 

防災関連の記事で以前に見たことがあるのですが、極限状態になると自分の身を犠牲にして他人を助けようとする人が多いんだそうです

やはり、自己犠牲の精神が根底に流れてるってことなんでしょう

 

物語洗脳おじさん、あなたの周りにもいませんか~~

 

ではでは