先日、RADWIMPSの2019年ツアーを映像化して映画館で上映する「フィルムライブ」に行ってきました
いやー、映像とはいえやっぱサイコーですねー
ライブにめちゃめちゃ行きたくなりました
とくに「正解」(という曲)、ありゃ泣きますね、まちがいない。
映像でも涙ぐんでしまったので、その場にいたらきっと号泣だったでしょう
相変わらずいいライブをするバンドです
んで本題ですが、その中盤あたりで演奏された「PAPARAZZI~※この物語はフィクションです」という曲にものすごい違和感を感じたんです
いやパフォーマンスはものすごかったんですよ
歌詞だけじゃなく声のトーンや表情まで、怒りをむき出しにして鬼気迫る緊迫感がありました
違和感を感じたのはオーディエンスの反応のほうです
※この曲を知らない方は、とりあえず聴いてみてください
ね?スゴイでしょ??
怒りをそのまま歌詞にぶつけたようなヒリヒリする曲で初めてこの曲を聞いたときは胸ぐらをつかまれたような気がしました
なのでライブ会場でも水を打ったように静まり返ると思っていたんです
でも違った。
手を叩いたり「ヒュー!」と叫んだり演奏後には他の曲と同じように拍手と歓声が起きていました
・・違うだろ。
この歌詞はパパラッチをする記者に対して、ズケズケと自身のプライバシーだけでなく家族の生活にまで土足で踏み込んでくるリポーターに対しての我慢しきれない怒りをぶつけているんです
でも本当はそいつらが書く記事やテレビのリポートのその向こうにいる「野次馬」に対しても同じように、もしくはそれ以上に怒っているんです
だって見る人がいないとそんな産業なりたたないんだから。
そんな怒りをちゃんと感じ取れたら「この曲で盛り上がる」なんてちょっと考えられません
まあもしかしたらラッドのコアファンとメンバーの間では、もっと深い部分での理解があるのかもしれません
僕ぐらいのニワカファンにはワカラナイ心の根っこ部分での共鳴があるのかもしれません
でも映像を見る限りではとてもそんな風には見えませんでした
自分たちも「そんな野次馬の一人」になる時があるってことを自覚してないのかな?
有名人の熱愛がトピックに上がってても一度もクリックしたことのない人っています?
テレビのチャンネルをワイドショーに合わせたことのない人なんて居るのかな??
この歌は「野次馬が最も罪深い」ことを突きつけてるんです
それをライブ会場で生で聴いて
「自分もそんな瞬間がある」
「自分も加害者の一人だ」
と思えたら無邪気に歓声を上げたり拍手なんてできないでしょ
映像ではわからなかっただけで実際に盛り上がってたのは一部のニワカファンだけだったのかもしれません
ファンの大半は真摯に受け止めていたと信じたい
そんなことを思いました
メディアに限らずなんでもそうですが
「需要があるから供給がある」
これが基本です
ではでは