音楽とか、考え事とか

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日々考えたことを書いています。

サカナクション「シーラカンスと僕」の歌詞の意味を考察しまーす

古い曲なので「なんで今さら?」って感じですが・・

ライブではいつも曲の後半で泣いてしまう名曲なんですよね~

 

その歌詞の意味をふと考えたくなったので、いろいろと考察して書いてみます

 

歌詞全体はこんな感じです

http://j-lyric.net/artist/a04d6c9/l01f912.html

 

 

では順番に見てきましょうー

 

眠れずにテレビをつけたら

夜に見たニュースと同じで

淋しくなったんだ 

 

これって結構あるあるで、テレビは大きなニュースを繰り返し報道するので「またこれか」ってなりがち。

でもそれが「価値の高いニュース」だったらこうはならないと思うんです

 

つまり、朝方に眠れなくてなんとなくテレビをつけたら、夜に見たのと同じ「くだらないニュース」がやっていて、

世間の興味の対象や騒ぎ具合の「どうでもよさ」と、自分の音楽に対する気持ちの「愚直さ」にあまりの剥離を感じ、

そんな人々に対して自分の音楽を認めてもらおうとしている姿勢に「物悲しさ」を感じた、ってことなんだと思います

 

※淋しい=満たされない、物悲しい気持ち

 

 

本当にいい(と自分が信じている)ものが認められない世の中に虚しさを感じた、とも言い換えられるかもしれません

 

 

空は海 見上げた雲は泡

深海魚な僕はあくびをして

どこかへ どこかへ行こうとする

泳いで 泳いで

 

だから空を見上げて想像の世界に入ります

青い空は海のようでそこに浮かんでいる雲は泡のように見えます

 

そんな海で、深海魚のように「異形で異質な自分」はノンビリあくびをして、そのまま泳いで現実ではないどこかへ逃げ込もうとします

 

想像の世界に浸らないとやってらんねーよ、という気持ちの表れに思えます

 

 

青い目とウロコで うろうろする僕はシーラカンス

どこかへ走り出しそう さよならする深い夜から

 

そんな未熟で弱く「まだ青い」僕は、まるで進化の止まったシーラカンスのよう。

世間に適応するでもなくずっと生きた化石のまま、その姿のままこの海をうろうろしています

 

でもこのままじゃいけない、変わらないと。

 

想像の世界から出て、地に足をつけ、走り出そう

それがどこに向かっているのかは、今はわからないけれど。

 

この深海のように深い夜の住人をやめて、世間に飛び出すんだ

 

なんてところでしょうか

 

いつまでもモラトリアムに浸っていられない、という決意を感じます

 

 

灰色のビルはまるでサンゴ礁

息切れしてシャローを目指し泳ぐ

静かに 静かに

 

そんな葛藤をしながら泳いでいても、想像の海はあまり快適じゃありません

 

眼下に見える東京の灰色のビル群はまるで「白化した珊瑚」のようで、その海ではもう栄養も酸素もちゃんと供給されない・・

 

だから浅瀬(シャロー)を目指して呼吸をしに行こうとします

そこを狙って釣りあげようとする「彼ら」に見つからないよう、静かに静かに。

 

自由で心地いいはずの「自分の世界」も、誰かに認められようとした時点で変わってしまいます

その「仕方なさ」や「やりきれなさ」を書いているんだと思います

 

 

青い目とウロコで うろうろする僕はシーラカンス

どこかへ走り出しそう さよならする深い夜から

 

ここでまたサビの繰り返しです

1番よりもより強く「変わるんだ」という意思を感じます

 

 

そしてラスト

 

曖昧な若さを 無理に丸め ゴミだとした

どうか僕が僕のままあり続けられますように

 

これはもう叫びですね

 

青くて弱い自分を無理やり捨てることで、ようやく先に進むことができる

でもそれで自身が変わってしまったとしても、自分の根っこの部分、音楽に対する気持ちだけは守りぬきたい

 

でもそれがとても難しいことは自覚しています。

 

だから「どうか」という願いをラストに何度も叫ぶんですね

 

 

ボーカルの山口一郎さんは「自分は挫折組だ」とおっしゃっています

 

フォークソングで世に出たかったのにそれが叶わなかった

だからフォークをルーツにしながらロックとダンスミュージックを融合させて、いまのサカナクションの音楽を創り上げたんだそうです

 

それはそれでスゴイことなんですが、「純粋にやりたかった形ではない」という後ろめたさを持っていらっしゃるんでしょう

 

だから以前に

 

竹原ピストルさんとご一緒するタイミングがあったのに声をかけられなかった」

 

と吐露していらっしゃいました

 

・・恥ずかしかったんだそうです。

 

じつは北海道時代、サカナクションになる前の段階で、同じイベントに出演したことがあるそうで、その際に「いいね」と竹原さんに褒めてもらったんだとか。

 

でも自分はその音楽では世に出ることができず、一方、竹原さんはその当時からずっと同じ音楽を続けて、今こうして脚光を浴びている・・

 

どれだけサカナクションとして成功しても

 

「本来の自分のままでは認められなかった」という挫折感

「やりたいことを曲げて、いま売れている」という罪悪感

 

が、心から離れないようです

 

本気で音楽に向き合っている人って、ここまで純粋なんですね

 

でもそのサカナクションの音楽で救われて、癒されて、生きる力をもらっている人が沢山いるはずです

 

ぼくもそう。

 

だから自信をもって、なんて軽く言えませんが、でも、今の道を信じて、どんどん進んでほしいと思います

 

今の世界的に不安な状況で、それでも淡々と生活している人、生活していけないかもしれない不安に押しつぶされそうな人、

そんなぼくたちの希望になる音楽をこれからも創ってほしいと思います

 

そんな思いで、古い曲ですが考察をしてみました

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

ではでは