先日、久しぶりに転売チケットを購入してライブを観てきました
転売チケットってなにか悪者みたいな扱いを受けてるけど、公式の先行や一般発売で取れなかたら、もうそれで行くしかないんですよねー
まあ、上乗せ分をアーティストじゃなく誰かわからないやつに支払うのは悔しいんだけど、LIVEにその金額の価値があると思えば買って行きゃーいいんです
自分一人が我慢したところで転売市場は何も変わりません
「まずは自分から」というのは美しい思想ですが、個人がアレコレしたところで全体に与える影響が小さすぎます
もちろん「自分は買わない!」と思うのならそうすればいいんです
でもぼくは合理的な性格なので高いと思えば買わないし、出せる金額なら買います
売る側も買う側も納得の上なら本来何の問題もないはずですよねー
むしろ転売対策のために「公式でチケットが取れなかったらどうにもできない」ことのほうが「どうしてもライブを観たい」人にとっては問題になってきています
それに現状ではAくんと一緒に行くつもりで取ったチケットは、急に都合が悪くなったときに代わりにBくんを誘うことができません
特定の相手にはトレードできないんですね、当たり前です、そんなことすると転売するに決まってる
そうやってチケット事情はかなり窮屈な感じになり、本気で取りに行っている人以外は手が出せなくなってるように思います
そうすると音楽ファンの裾野が広がりませんよねー、これはこれで大問題じゃないのかな
以前にサカナクションの山口一郎さんが「今のフェス文化が衰退したら日本の音楽業界は終わる」とおっしゃっていましたが、そっちに向かってる気がしてなりません
音楽を文化として根付かせるにはどうしたらいいんでしょう
いまの30代40代の中でも「音楽ライブに一度も行ったことがない」というひとが多くいます
もしくは10~20代には1~2度ライブを観たことがあるけどそれっきり、という人もかなり多い
むしろそっちが多数派では?と感じるぐらいですが、音楽を楽しんで気に入ったアーティストはチケットを購入してLIVEを楽しむ、ということが日本では文化として全く根付いてないってことなんだと思うんです
たまには仕事を早く切り上げて、ちょっとオシャレをしたお奥さんと待ち合わせて夫婦でコンサートに出かける
なんてのが全く無いんですよね、ぼくの周りだけかな?
別にこれが寄席でも歌舞伎でもいいんですけど、周りにいます?そういう人
(労働環境の是非を問うているのではありません)
日本人って、そういう文化的な趣味を持っていなくても恥ずかしいと思わないってことなんでしょう
会話に「教養」が必要ない日本文化の特殊性にも通じてるような気がします
ちょっと建設的な発言をした人を「意識高い系」なんてコトバで小馬鹿にしてるうちはなにも変わらないんでしょうね、きっと
日本にロックが入ってきたのがビートルズの来日だとしたら、もう50年以上経っています
これぐらいじゃ、まだ全然足りないってことなんでしょう
日本に靴が入ってきたのが明治維新(大政奉還)だとしたら、1867年から今年で151年経っていますが、未だに靴が文化として根付いていません
「いや、毎日履いてるよ」って人、子供の頃に初めて靴を買う際に専門の機関で足を測ってもらいましたか?
もしくは大人になってから自分の意志で足を計測しに行ったことのある人が、どれぐらいいるのかな?
日本人の90%ぐらいは本来のサイズよりも大きめの靴を選び、ガポガポしながら履いています
これって文化として根付いていないからだと思うんです
親に知識がないから子供にも受け継がれないし、その子供が親になったときにもやはり自分の子供を教育することができません
ぼくが初めて靴を買いに行ったときは、母親が選んだサイズを履かされて「どう?痛くない?」と聞かれ「ちょっと痛い」というとワンサイズ上を履かされ「これなら痛くない」といった時点でサイズ選びが完了していました
ここで「靴のサイズ選びは痛くないものを選ぶ」という教育を受けているんですね
親自身もそれ以上の選び方を知らないので教えようがないし、店員さんもアドバイスできるほどの知識がありません
まあこれは「昭和のお話」なので現在はもう少し様子も変わっているのかもしれませんが、駅でカカトをカポカポしながら歩いてる人をよく見かけるので、そんなに大きくは変わっていないのかも。
ああ、話がズレましたね「文化が根付くには長い年月がかかる」ということが言いたいんです
あと何年ぐらいしたら靴が文化として根付くのかな?
それが「音楽文化の根付きの年月」を考える際の参考になるかもしれません
まあ、時代のスピードはどんどん早くなってるから、靴とはまた違うと思うけど・・
ではでは