閉塞感が漂う世の中、怒りや悲しみに過敏に触れすぎてしまう現代では、自分の精神を守るために「客観的な視点に立つ」スキルが必須だと思うんです
でないと傷心から回復するのに多大な時間がかかったり、健康な心を取り戻せず病んでしまいかねません
それはあまりにもったいない
どうようもなく傷ついて落ち込んだ時は、意識を自分から切り離して客観視できるように持っていくと回復がスムーズに行く気がします
「舞台を見る観客の視点」のような感覚ですね、とことんまで落ち込んだ後はその出来事を鑑賞するように時事系列で回想しながら、状況を分析して原因を突き止めていけば冷静さを取り戻すことができるんです
ひと昔前はそんな「どん底まで落ち込む」体験もタマにしかなかったので、落ち込んで落ち込んでゆっくりと「暗黒をさまよう時間」を確保することができました
でも今はSNSなどでそんなレベルの「落ち込み」にカンタンに遭遇することが可能になってしまいました
そんな頻度の高い事象に対していちいち時間をかけて落ち込んでいると、それだけで人生が終わってしまいます
「落ち込み」にも生産性の概念が必要ってことですね
何か大きな失敗をして落ち込んでいる時も「その出来事」を客観視すれば「あそこでああしとけばよかったんだ」ということが浮かび上がってきます
一方「渦中の自分」を客観視して分析できれば「ずっと目を背けてきた自身の改善すべき欠点」に向き合うしかないことに気づかされます
「もう逃げられない」ってやつですね
流れとしては「状況分析」の次に「心情分析」になるんでしょう
これがまたなかなかにツラいんですが、根本的な原因が「自分の欠点」ならそれに目を向けずにモヤモヤしてても解決はしないんです
芯を食わずに堂々巡りを続けても、開き直るまでにどれだけの時間を要するのか?
一度でも悩んだことのある人なら、その生産性の低さは痛感しているはずですよね
自分を痛めつけるように「冷たく分析」することでサッサと受け入れてしまいましょう
このスキルが手に入ると落ち込む時間を最小限にできるようになり、ウダウダと停滞して時間を浪費することも少なくなるのですが(建設的に落ち込めるようになります)
スキルの向上とともに他人に対して厳しいことを言ってしまいがちになりますので、この点は充分に注意しましょう
大事な人を失いかねません
客観視=分析屋になってしまい、相談者に対して冷たい言動をしがちになるんです
相手が求めているのが「共感」の場合は致命的ともいえる溝を作ってしまい兼ねず、かなり危険です
客観視を意識しだすとあらゆる人のあらゆる言動や行動を分析してしまうようになり、「その言動の動機」や「その行動の目的」がハッキリと見えるようになってきます
このあたりで調子に乗ってしまい「自分はわかってるんだぞ」という傲りが言葉の端々に出てしまうんです
これが周りの人間にとってはマジでウザい
「アイツ、なんかわかったようなこと言うよね」なんて陰口をたたかれるのもこの時期です
僕もこの時期を通りましたが、いろいろ失敗しがちな時期ですので注意してくださいね
「わかったようなこと言わないで」「分析してくれなんて頼んだ?」なんて言われたら症状がかなり悪化している証拠です
取り繕うようなことはせず「ごめん、君に甘えて調子に乗ってた。今後は気をつける」と素直に謝罪するべきです
でないとその人間関係を修復できないレベルに悪化させてしまうかもしれません
「客観視」は身を守る強力な武器ですが、強力であればあるほど「諸刃の剣」なんです
使いこなせるまでは自制心をもって、そんな自分自身も客観視できるように心がけてください
人間関係はひび割れの段階で「即座」に「素直」な謝罪が大事ですよ、マジで
ホントに気をつけましょう
ではでは