音楽とか、考え事とか

音楽とか、考え事とか

日々考えたことを書いています。

大事な人を亡くすと幽霊が怖くなくなる

だってなにか気配を感じたら、その人かもしれないから。

 

見えなくても、近くで守ってくれてるのかも・・

なんて想うことができるからです

 

まあそれって都合のいい想像だろうけど、それでもなんとなく存在を感じるのは悪いことじゃないですよね

 

そこでちょっと思ったのですが・・・

 

 

「幽霊」のイメージってよく考えると誰かによって作られたもの、刷り込まれたものなんじゃないかな

 

TVのバラエティ番組、映画、怪談話、漫画、小説・・

そこで見聞きしたものが混ざりあって、それぞれの目的に引っ張られて、いつの間にか脳内に虚像が出来上がっているんだと思います

 

そしてそれらはやたらとオドロオドロしい。

 

そういった「虚像」を作り上げる側の目的はハッキリしていて、より試聴率をとるため、より物語を盛り上げるためにそうしてるんですよね

そしてそうして作り上げられた霊たちはは隙あらば取り憑いたり、呪ったり、引きづりこんだりする存在に仕立て上げられています

 

ああコワイ。

 

見ている方もそれがフィクションだとわかっていながらも、暗くて心細い場所なんかに行くとフラッシュバックのように蘇り意味もなく怖くなってきたりします

 

シャワーの際に目をつぶるのが怖かった経験がある人も多いのでは?

 

でもよーく考えてみて逆の立場だったらどうでしょうか?

もし自分が幽霊の立場だったら??

 

例えば事故などで突然この世を去ることになり、霊になってしばらく漂うとしたら、誰かを呪ったり道連れにしたり、そんなことするかな?

 

僕だったらそんな事する前に、愛する人にどうにかして想いを伝えようとします

 

「突然死んじゃってゴメンね

でもあなたのおかげでいい人生でした

すごく楽しく毎日を過ごせました

先に逝くけどあなたはこの先も人生を楽しんでね

僕のことはたまに思い出してくれればいーからさ

生きているあなたは新たな一歩を踏み出してください

またいいオトコ見つけなよ

そして、幸せになってほしい

あなたを幸せにするって誓ったのに約束守れなくてゴメン

でも僕は幸せでした

本当にありがとう

これからもずっと愛してる」

 

なんて想いをどうにかして、どれだけ言葉にしても足りない感謝の気持ちをどうにかしてあなたに伝えたい

 

そう思うと思うんです

 

亡くしてしまった大事な人だってきっと同じように想ってくれてるんじゃないかな

そう考えると幽霊なんて怖くなくなるんです

 

実際には気持ちは届かないかもしれないし、霊として漂うことなんて本当はないのかもしれない

でもそう思って生きてくのってそんなに悪くないと思うんです

 

哀しみは消えることはないけど時間とともに自分の一部になっていきます

思い出すと胸が詰まるけど時間が経つとお腹の奥のほうが温かくなってなんとなく気持ちが落ち着く感じがするようになります

 

そうやって共に生きていくことこそがその人が生きた証なんだと思う

 

なんてことをふと思いました

 

亡くした人にはどうしたって想いを伝えることができないから、生きているうちにちゃんと言葉にして伝えおきたいですね

 

ではでは