音楽とか、考え事とか

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日々考えたことを書いています。

捕鯨に反対する前に、問題の論点を整理しよう

時々見かける捕鯨問題のニュースですが、ついに商業捕鯨を再開するようですね

 

www.sankei.com

 

世界のあちこちから「捕鯨反対!」と批判の声が上がっており、それに対して日本側としては

 

「なにを!捕鯨は日本古来の伝統だ!」

「充分に個体数が回復しているから獲っても問題ない!」

 

などと反論していますが

 

「いや、そもそも誰が食べるの?」

 

なんて意見もあり(ぼくもそー思います)国内でも賛否があるようですね

 

この問題って、4つのことを分けて考える必要があると思うんです

 

①本当に「日本の」伝統なのか

②食文化に対する他国からの干渉の是非

③動物愛護の観点

④需要と供給

 

誰かと捕鯨の話をすると大体これらの論点を混同してしまうため、論点の違うクロストークになってしまいガチなんですよねー

 

なのでそれぞれ順番に考えてみたいと思います。

 

① そもそもは日本の伝統文化のようです

 

が、戦後貧しい時代の「安価で摂取できるたんぱく源だったこと」のほうが、実は大きいようです

 

捕鯨自体はかなり昔から行われていたはずですが、あくまで限られた地域での伝統であり、日本人の多くが古くからクジラ肉を食べていたとは考えにくい

 

それが、敗戦したことで極貧国になってしまい、国民を飢えさせないために「安価で手に入る」「飼育期間がなく獲ればすぐ食べられる」クジラ漁を拡大させたんでしょう

 

その頃の国民にとって肉とは「クジラの肉」のことで、クジラを食べることが生きていくための「当たり前の行為」だったようです

 

つまり日本全体としては「伝統文化」というよりは

 

「必要に迫られて獲っていた、食べていた」

 

というほうが感覚としては近い気がします

 

 

② 食文化はそれぞれの国が独自で築き上げてきたもの

 

それについて、基本的には他国にとやかく言われる筋合いはありません

 

捕鯨に対して強く抗議しているオーストラリアでは(日本では食肉として馴染みのない)カンガルーを食べていますし、フレンチではウサギの肉がでてきたり、アジアには犬肉を食べる文化もありますね

 

それぞれ独自の食文化ですが、日本人の感覚でいうと犬肉には強い嫌悪感を持つと思います

だからといってそれを止めさせて食文化を否定する権利なんて、僕たちにはないと思うんです

 

それに

 

毎年数万頭の犬や猫を殺処分している日本が、なにをエラそうに!

ただ殺すだけなら食べるほうが命に対して誠実だ、それが自然の摂理だ!

 

なんて言われて反論できます?

 

③ 鯨だけ残酷ってどうなの?

 

よくイルカなどの追い込み漁の映像で、血まみれのイルカを網で捕獲する様子が「残酷だ」などといわれますが、「なら他の動物はいいのか?」というのが正論です

 

人間は命を食べないと生きていけませんから、牛、豚、鶏だけでなく、馬、鹿、羊、ウサギ、ハト、カンガルーなど、あらゆる動物を殺して食べていますよね

 

それらの屠殺はよくてクジラだけが非難されるのはどうにも理不尽に感じます

 

「追い込み漁は殺し方が残酷」なんて意見もありそうですが、ぼくは「殺すために飼育する」ほうがよほど残酷じゃないかな?と考えています

 

屠殺場に連れていかれる牛や豚が何も感じないはずがありません

怯えてトラックからなかなか降りなかったりするようですし、そもそも飼育方法も基本的には残酷です

 

殺すために繁殖させられ、狭いところに押し込められて決められた時間だけ日光を浴び、毎日同じスケジュールで管理されるのって、家畜にとっては何の権利も与えられていないのと同じです

 

それなら野生で厳しいながらも自由に暮らしている中で「運悪く狩られてしまう」ほうが、よほど自然だと思います

 

ノロマな奴から食べられる」ってことです。

 

クジラをどうこう言う前にフォアグラを糾弾するべきじゃないかな?

あれなんか残酷の極みだと思います

 

④そもそも誰が食べるの??

 

これが一番の問題だと思うのですが、クジラ肉ってそもそも需要がありません

 

幼少期~若いころにクジラを食べていた70代の方などに話を聞くと「ああ~食べてたね、でもそんな旨かった記憶はないな」と言います

 

かなり昔のことなので詳細は覚えていないそうですが、ようは「食べられないほどマズくはないが、喜んで食べるほど旨くはない」程度の味だったようです

 

「そりゃ牛や豚のほうが旨いよー」と力強く言っていたのが印象的でした

 

ちなみにアラフォーの僕も小学校の給食で何度か食べた記憶があるのですが、やはり似たような印象です

食べた記憶はあるものの味は覚えていないので「旨くもマズくもない」ものだったんじゃないかなー

給食で大好きだったり大嫌いだったものって記憶に残っていますもんね

 

伝統としてクジラ漁をしている地域で細々食べるのは別に構わないと思うのですが、それを日本中に広げる必要はマッタクないと思います

 

だって、本当に美味しかったら放っておいても広まるんだから。

 

「クジラ肉のおいしさを知ってもらいたい」

「おいしく食べる方法を広めていきたい」

 

なんていうアナウンス自体がナンセンスだって、なんで気づかないのかな?

 

「その土地に行けば地域の名産として食することができる」

 

クジラ肉なんてそれで充分でしょ

 

時代が変わって需要がなくなってるんだから、シガミツクのは止めたほうがいいと思います

 

僕の結論としては

 

「地域の名産として細々とやれば?」

 

です

 

ではでは