シンガーソングライターの西野カナさんが、テレビ番組で作詞の手法を公開して話題になっているようです
この記事を読んで2つのことを感じました
①ネットには普通の意見と幼稚な意見がある
②賛否の「否」を取り上げて記事を書くと注目を集めやすい
①は、なんかもう今さらなのですが改めて強く認識しました
商売をやっているんだから「より売れるもの」を作ろうとするのは当たり前です
そのためにマーケティングするのは当然のことで、それが家族に対してであれ友達に対してであれ、西野さんだけでなく他の多くのミュージシャンが実施しています
有名なところでは、ユーミンさん(松任谷由実さん)はリサーチのために変装して電車に乗り込み周りの会話に聞き耳を立て、「ユーミンさんですか?」とバレたときは「そうよ、ところであんた彼氏いるの?」とインタビューに切り替えるんだそうです
サカナクションの山口一郎さんも長い時間喫茶店で過ごし、周りの会話を聞くことがあるんだそうです
(ほとんどの人が仕事の愚痴か恋愛の話をしてるんだとか)
そうやって集めたリアルな声を元に作詞しているわけですが、これのどこに批判される要素があるのかな?
「社会でお金を稼ぐオトナ」として当然のことをしているだけだと思います
こんな当たり前の行為に対してゴチャゴチャ言うのは社会を知らないコドモか、社会に出ていてもコドモ程度の知能しか持たない人たちだけです
見分けがしやすいようにコメントの語尾に「バブー」ってつけて投稿してくれないかなー
他にも「友達の恋愛相談から着想を得て歌詞のアイデアが浮かんだ」「ファンレターにインスピレーションを受けてストーリーを思いついた」なんて事を、これまでに沢山のミュージシャンが語っています
これも要はマーケティングによるものですよね?
「積極的に調べたわけじゃなく受け手として情報を得た」ってだけのことですが、こういったコメントに対する批判ってあんまり聞いたことないですよねー
ってことは積極性がダメってことなの?
クリエイターは薄暗い部屋で集中しながら、突然のヒラメキによってあっという間に歌詞を書き上げる・・
なんて思ってるわけ??
もうこのあたりからお話にならないぐらいの「バブー感」が漂っていますよねー
周りから刺激を受けずに作品を作り続けられるクリエイターなんているはずないし、大事なのは作品のクオリティーであって、明らかな盗作などでなければ作成の過程なんて大した問題ではないと思うんです
それらを全部理解した上で作品を評価するのがオトナなんじゃないのかなー
ネットやSNSではこういった幼稚なコメントがドンドン目に入ってきますから、ちゃんと無視できるスキルは何らかの活動をするうえでは必須ですねー
②は批判の意見だけ取り上げて記事を書き、注目を得ようとする典型的な手法ですね
賛否があるんだったらそれがどれぐらいの割合だったのか?(6:4で批判が多いなど)
それを書かないと意味がないと思うんです
なにかアクションを起こせば批判の声があるのは当たり前で、それを「こんな批判がありました」なんて書かれても「あ、そ」で終わりです
そんな記事が堂々とトピックに上がってくるあたりが恣意的というか、アクセス数を稼ぐためだけに記事を書いているようで寂しくなってしまいますねー
完全に中立の記事なんて存在しませんが、せめて中立性を保つ努力はしてほしいものです
これが個人のブログならいーんですよ
ブログなんて基本的に偏ったものばかりですし、思うように書くのがブログのはずです
でも「ヤフーニュース」として上がってくるのはなんか違いますよね〜
個人的に書いたものがたまたま取り上げられたのか?
取り上げられるために偏った記事を書いたのか?
オファーに応じて機械的に書いただけなのか?
まあなんでもいーんですけど、とりあえずくだらない記事なのは間違いありません
なら偏ってなければいいのか?っていうとそーでもなく、データを羅列しただけの記事もかなりくだらないです
例えば上記の記事で言うと賛成のコメントをいくつが挙げて、批判のコメントを同じ数だけ挙げればとりあえず中立の記事にはなります
ただそれでは「こんな意見がありました」と紹介しているだけで、書き手の見解が何もないつまらない記事にしかなりません
そんなのSNSを見てりゃわかることなので、わざわざ記事にするまでもないよねー
じゃなくて、データに対して「こういう事がいえる」という筆者の見解があって初めてオモシロイ記事になると思うんです
こういった「やたらと偏った記事」と「データを羅列しただけの記事」がホントに多いと感じます
まあだからこそ「価値のある記事」が際立つので、それはそれでいいのかもしれませんが・・
いつの時代も、どんな分野でも、価値のあるものは一握りってことかな?
ではでは