延命治療についての記事を読んだのですが
news.yahoo.co.jp延命を望まない人が7割近くいるにもかかわらず、いざその時を迎えると延命を希望する家族が後をたたないそうです
これ、元気なうちに家族でじっくり話し合っておくべき問題ですよね
キチンと話し合って「延命治療は絶対イヤ」「そんなことをしたら恨む」といった本人の意思を家族で共有できていれば「延命はしない」という選択をしやすいと思うんです
もちろんそう簡単でないことは理解しています
「延命しない」ということは命を諦めることなので、本来は選びたい人なんていませんよね
しかもその場にいない親戚などに後々責められるリスクまであります
でもその時に「キチンと話し合って共有できている意思」があれば、選択を迫られた家族の背中を押してくれると思うんです
これこそが本当の家族の絆だと思うんですよねー
でないと「怖くて決断できない」という理由で延命を受け入れてしまい、その後何年も意識の戻らない状態が続くかもしれません
管に繋がれて意識が戻らないまま何年も生かされているのを見て「よかった、できるだけ長生きしてほしい」なんて思う人ってあまりいないんじゃないかな
「それがわかっているのに決断できない人が多い」という事実を重く受け止めるべきだと思うんです
もし家族の誰かが「母さんを見捨てるの!」「俺たちを生んで育ててくれたのに!!」とわめきだしたとしても、
「それで母さんが喜ぶと思う?」」「あんなに話し合ったじゃないか」と冷静に説き伏せることができるぐらいの「覚悟」を、家族のうち最低一人は持っておく必要があると思います
誰だって決断するのは怖い。
キチンと覚悟を持っていないと、また自分では覚悟を持っているつもりでも、いざという時になると「決断すること」から逃げてしまいがちなんです
そして1人が逃げるとそれにつられる人間も出てくるかもしれません、言い出しっぺじゃないと気持ちも楽ですしね
怖さから逃げるために「まだ親孝行できてない・・」なんていい方で間接的に延命を促しても、誰もその人を責めることなんてできません
家族の人生を諦める決断をするのはそれぐらいキツイことなんでしょう
そういった状況になることまで具体的にイメージして、先回りして話し合っておくのがよさそうに思います
「きっとこういうことを言い出すやつが出る」「その時はこの話し合いを思い出そう」といった感じですね
そうすれば想定している状況にはある程度対応ができるようになるはずです
記事にありましたが85歳以上で心肺停止になると、その後人工呼吸器を外して退院できるのは0.5%なんだそうです
200人に1人ってことですね、自分たちにはそんな奇跡は起こらないと考えるほうが妥当でしょう
もちろんこれがもっと若い人や子供なら状況は全く変わってきます
そんなことまで想定するのは不可能なので、その時は極限状態で話し合い決断するしかありません
(そして多くは延命を選択してしまうんだと思います・・)
でも少なくとも高齢の親に関して「最期をどうするのか?」は、きちんと考えて話し合っておかなければならない問題だと思うんです
それが家族の責任じゃないのかな
なかなかそんな場を作るのは難しいと思うのですが、お正月に話し合うのはどうでしょうか?
家族や親族が集まることが多いし、年が明けて新しい年の抱負なんかを考える時期ですから、あまり重くならずにカジュアルに話し合えそうです
「正月から縁起でもない」なんて声も出そうですが、そんなことを言い出す人間に限っていざその時になると感情的になる可能性が高い
その時に説き伏せる練習だと思って、まずはお正月から頑張ってみてください
「毎年正月には死について話し合う」
ぐらいの雰囲気にもっていけるのが理想じゃないかな
お酒が入ると本音も出やすいですしねー
最低でも親兄弟ぐらいまでは意思を共有しておくべきだと思います
ではでは