音楽とか、考え事とか

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日々考えたことを書いています。

サカナクションの「years」の歌詞の意味を考察してみよー

 

知ってますか?「years」

フェスでは演らない暗い曲ですが、いい曲なんですよー

 

www.youtube.com

歌詞はこんな感じ

http://j-lyric.net/artist/a04d6c9/l0259c0.html

 

「執着の歌」であり「決意の歌」であり「希望の歌」だと思います

 

「どんな困難があっても好きなことは諦めないよ」ってとこかな?

 まあ、それぞれが自分なりの解釈をしてください

 

さて、ではこの years の歌詞を順番に見ていきましょう

 

まず自分たちを布に例えてその特性を歌っています

 

僕たちは薄い布だ 折り目のないただの布だ

影は染まらず通り過ぎて行き 悲しみも濡れるだけですぐ乾くんだ

 

自分たちは薄い布のような存在で、状況によって形を変えるけれど折り目がつかないような「しなやかさ」を持っている、ってとこかな

 

影を落とすような悲しいことがあっても、それで布が染まることはなく、

繊維を通過するだけ

 

そんな影のような暗い経験も過ぎてしまえばドンドン忘れていき、悲しみで泣くことがあっても薄い布は濡れてもすぐに乾いてします

 

痛みも悲しみもすぐ忘れてしまうということですね

自分たちはそんなことを「忘れながら生きている」と歌っています

 

そしてサビです

 

years years この先に待ち受けている時代の泥が

years years 僕らを染めてしまうかはわからないけど

変わらないことひとつはあるはずさ

 

years は年月のことかな?

これまで重ねてきた過去、これから進んでいく未来のこと。

 

「時代の泥」は活動する上で自分たちを飲み込んでしまう対象のことでしょう

それらが自分たちを染めてしまう、つまり業界の常識、メディアのやり方、リスナーに受け入れられるための手法、などに自分たちが染まってしまうかもしれないということ

 

そして、それらに染まってしまっても自分たちの中に「変わらないこと」が1つぐらいは残ってるはず、残っていてほしいという希望を歌っているんですね

 

もし染まらなかったしても、染まらないように抵抗することで自分たちの何かが変わってしまいそれまでと同じでいられません

泥に飲み込まれることでどっちに転んでも「純粋なままではいられない」ことを嘆いているんじゃないのかな

そして嘆きながらも「音楽活動をしていくなら受け入れるしかない」と覚悟しているという解釈もできそうです

 

そして2番です

 

僕たちは薄い布を 繋ぎ合わせて帆を立てた

風が吹くのを見逃さずに 乱れた髪さえそのままにしてたんだ

 

「僕たち」が薄い布なので、それを「つなぎ合わせて帆を立てる」のはチームを組むということ、風を受けるための「サカナクション」という看板を掲げるということかな?

メンバーやスタッフを含めた「チームサカナクション」のことだと思います

 

「風が吹く」の「風」はおそらく時代の風のこと、時代が求める方向に吹く「風」に乗って飛躍するには乱れた髪を気にしてるヒマもなかった、売れるためにはなりふり構っていられなかったってとこでしょうか

 

大衆に迎合した音楽、締切に間に合わせた作品、納得のいかないことも飲み込みながらもまずは売れることに専念した、その頃のことを客観的に歌っているんだと思います

 

「セントレイ」の頃かな?「アルクアラウンド」の頃でしょうか?

当時の状況や心情を、感傷的になることもなく淡々と語っている印象です

 

そして2度目のサビです

 

years years この先に待ち受けてる時代のハサミは

years years この帆を切り刻みバラバラにするけど

years years また繋ぎ合わせるからそのときには

years years 君のこと思い出しても許してくれるかい?

 

時代のハサミは、音楽活動を続けていく上での困難のことでしょう

 

やるべき事を優先せざるを得ない状況、過密スケジュールによる疲弊、アウトプットばかりの生活、ストレスの大きなメディアへの露出・・

 

そういった困難がそれぞれの心に隙間を作り、チームの信頼関係を断ち切ってバラバラにしようとするけど、もし断ち切られてもすぐにつなぎ合わせて人間関係を修復していく、そうやって前へすすんでいくんだ!という決意を感じます

 

最後の行でなぜ「君」に許しを求めているかというと、「君」との関係は繋ぎ合わせなかったからだと思うんです

本当はつなぎ合わせることもできたんだけど、何らかの理由でそれをしなかった「負い目」が残っていて、誰かとの関係を修復する際にはいつもその「しなかったことに対する負い目」を思い出してしまうけれど、そんな身勝手な感傷に浸っても許してくれるかい?と弱音を吐いているんだと思う

 

音楽で稼いで食べていくということは、後悔に浸って、思い出に逃げて、感傷に酔わないと進めないほど「困難な道」ということなんでしょう

 

そこまでしてでも音楽を捨てられない「自分の業の深さ」の歌なんですね

 

そしてラストパートに突入していきます

 

僕の中の変わらないこと

僕の中で変わらないこと

多分これが変わらないことのひとつ

 

最初の2行「僕の中の変わらないこと」と「僕の中で変わらないこと」とでは一文字しか違いがなくても意味がまったく違います、たぶん。

「僕の中の~」はこれまで「僕の中で~」はこれからのことなんじゃないかなー

 

また、「僕の中の」は「僕」が主体、「僕の中で」は「変わらないこと」が主体になっています

 

「僕の中」の「中」は精神世界のことですが、それ以外にも当然「僕の外」もあり、それは見た目や人間関係のことでしょう

そんないろいろな面を持つ僕の「外」ではあらゆることが物凄いスピードで変わっていきます

そんな中でも「僕の中の変わらないこと」は「これ」ってことなんだと思います

 

一方「僕の中で」は座標的な意味合いがあるように思います

僕の中、精神世界でも「変わっていくこと」は当然あり、生きていけば、何かを目指せばドンドン変化していくのが人間の自然な姿です

そんな中でも僕の中の「この部分」は変わらない、変わらない「核になる部分」はここだと強調してるんだと思う

 

たった一文字でこれだけ世界が広がるのも日本語の素晴らしいところですねー

 

さてそうやって、いろんな困難があっても今まで変わらずに残っていること、これからどんな困難があっても変わらずに残っていくもの

 

「それが自分たちの本質だ」

 

と言っているような気がします。

 

それが何なのか?は解釈が分かれるところですね

 

自分の強さなのか?仲間との信頼なのか?弱音を吐くズルさなのか?

僕は「執着」だと思います、自分が好きな音楽に対する執着心のこと

 

売れる曲だけを書いて活動していくことはできるけれど、それは稼ぐための「やるべきこと」で「本当にやりたいこと」ではない

かといって「やりたいこと」だけやってると活動の規模が小さくなりどんどん地下に潜っていってしまう

だから「やるべきこと」をやりながらその中にも必ず「やりたいこと」を入れ込んでバランスをとり、許される範囲で本当に好きな音楽を作っていく

 

そこだけは絶対に譲れない、そうやって「好きなこと」「やりたいこと」に執着していくんだ、という決意を込めて歌っているんだと思います

 

その決意を、最初のサビのラストの行「変わらないことひとつはあるはずさ」に応える形で「たぶんこれがそう」と締めています

決意は希望です、最後を希望で締めくくるからこそ何度聞いても心を動かされる歌に仕上がっているんですね

 

そうやって変わらずに年月を経て、これからも変わらずに時代を積み重ねていくから、タイトルが「years」なんだと思います

 

 

長々と2800字近く書いてしまいましたがいかがだったでしょうか?

最後まで読んでいただきありがとうございます

 

まあ解釈なんて人それぞれで、書いた本人ですら真の意味なんてわからないもんですよ

 

ではでは