音楽とか、考え事とか

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日々考えたことを書いています。

「稲村亜美に球児殺到!」もみくちゃ事件を見て日本人の国民性の変化を感じる

「日本リトルシニア中学硬式野球」の2018年3月10日の開幕式で始球式を行ったタレント稲村亜美さんが、球児たちにもみくちゃにされるという騒動がありました

 

その様子が動画ネットに上がっていましたので確認しましたが、この中心にいた稲村さんはかなりの恐怖を味わったんじゃないでしょうか

(よければ検索してみて下さい)

 

その後、ご本人のツイッターで「熱気が伝わってきた」「私は大丈夫」「みなさんが一所懸命プレイすることを期待」などと書いており、気遣いが伝わってきます

ご自身もシニアリーグご出身とのことですので、嫌なイメージを付けたくなかったのでしょう

 

さてこの事件、率直に「日本人も変わったなー」と感じました

 

握手を求めて殺到したということですが、ジリジリと近づいて最後に一斉に駆け寄るさまは見ていて非常に不快です(あくまで動画で見ただけですが)

 

いきなり駆け寄らないあたりが「いかにも日本人」って感じですが、一昔前なら同じように殺到することはあっても最終的には順番に握手をしてもらうような形になったのでは?と思います

 

なぜなら僕たち日本人は周りの目を気にして自分の欲求を抑える傾向があるからです

 

本当はすぐにでも駆け寄りたいけど、それをすると後から周りに何を言われるかわからない

そういった世間体による抑制機能が強く働くのが日本人なんです

(もちろん一部の例外はいます)

 

「日本人はマナーがいい」「シャイでおとなしい」などと言われますが、世間体や評判を気にするせいで結果的にそうなっているだけしょ

村八分」という言葉がそれを端的に表しています

 

そんな臆病な民族が公衆の面前において一人の女性に数百人で襲いかかるようなことを、本来なら起こるはずがありません

ある程度興奮していてもギリギリで抑制が効くはず、ライブ会場で陶酔してるわけじゃないですからね

 

ではなぜ今回はこのようなことになったのか?

これたぶんSNSの影響なんだと思います

 

ツイッターなどでおバカな行動をアップロードして炎上騒ぎになることが、話題になるようになって久しいですね

すでにネット上では当たり前の風景になっており「またか・・」となってしまいます

 

そういうネットやSNSが物心ついたときから身近にある世代だと「面白い行動を世間にさらしてアクセスを稼ぐ」というのが当たり前の感覚になっているんだと思います

 

もちろんやりすぎると炎上騒ぎになるので誰も彼もが非常識な行動をアップするわけではありませんが、これだけ「誰でもきっかけさえあれば人気者になれる」ようになると「自分もいつかは・・」とチャンスを待つような心理状態になっていてもおかしくありません

 

そういった「承認欲求の心理的土壌」と、ここ最近よく目にする「自己の実現」「好きなように生きる」などといった自己主義がプラスされ、さらに本来気にするはずの「周り」がリアルではなくSNSに特化しているせいで「得をする場面で行動を起こせなかった」ことを恥じるようになっているのかもしれません

 

そういった現代の新しい集団心理ともいえる「SNSにおける世間体」がそれまでの「集団におけるお作法」を上回った結果、このような事件になったんじゃないかな

団体主義から個人主義になってきている時代で「次のステージに入った」とも言えそうです

 

こうなってくると今までのように牧歌的なセキュリティではイベントを運営できなくなります

今回の様な始球式なら球児はロープなどで区切った観覧席のような場所に整列させる必要があったのでしょう

 

たったロープ1本でもそれが心理的な歯止めになるはず

さすがにロープを超えるようなことにはなって欲しくないし、そう信じたい・・

 

今回は大きな怪我をされた方もいないようで何よりでした(小さな怪我は多数ありそう)

今後の運営はもっと遠巻きにしか見られなくなるんでしょうけど仕方ないですね

 

ただ一つ思ったのは

 

この個人主義はドンドン加速していきそうで、そうなるとサッカーのフーリガンのようなことが日本人によって普通に起こるような時代になるかもしれません

 

まあ何にしても「自分自身は自分で守る」時代なのは間違いなさそうです

 

ではでは