例えば釣りが趣味の人が居て、休みになると前の晩から準備をして朝早くから出かけ、日の出の頃には海に出て釣りに興じている・・
周りから見ても「朝早くからよくやるな・・」と呆れながらも、そこまでエネルギーをかけられる物があることをほほえましく思えるし、本人も「俺は釣りが好きだ!」と満足気だったりします
ではこの人が宝くじで10億円当たったとして、一生遊んで暮らすことができたら毎日釣りをして過ごすでしょうか?
答えは人によって分かれると思います
釣りが趣味だったはずなのに定年になった後しばらくするとやめてしまう人や、逆に機械のように毎日近所のため池に釣り糸を垂らしに行くような人がいます
これらの人たちは、本当に釣りが好きだったわけではなく「仕事の合間の息抜きに釣りをすること」が好きだった人たちです
あくまで息抜きとしての趣味だったんでしょう
前者は、毎日やるほどのエネルギーはなく、一緒に行く人がいないと段々やらなくなってしまったんです
後者は、かといって他にやることもないので近所の池で「釣りをする格好」で時間をつぶしているにすぎません
お金があればさっさと仕事を辞めて毎日釣りをしたい!
定年になったら釣り三昧の日々を送るぞ!
そう思ってる人の大半が、いざその時を迎えると「そこまで好きじゃなかった」ことに気づかされて愕然としてしまいます
一つの趣味で毎日過ごしていくことは本当に大変なことです
その趣味が実際はどれぐらいの頻度で行えるのか?
をしっかり見極めないと、時間だけがあり余って退屈地獄に陥ってしまいます
例えばその趣味のちょうどいい頻度が週2回ぐらいなら、他の5日間を埋める何かが必要ってことです
そう考えると常に2~3個ぐらいの「楽しいと思える趣味」を確保しておかないと安泰とは言えないようですね
「何もせずにボーとする日を設けるからいいよ」と思っていても、それは忙しい日々の合間にやるから有意義に感じるのであって、毎日ヒマだと単に退屈なだけでとても耐えられません
コワイのは、そうなってしまった人って日ごろから不満がたまってていつも不機嫌な顔をしてるし、必要のないものにお金を使いその事を指摘されると激高したりします
老後を甘く見てはいけません
老後ってお金は際限があるのに時間はやたらとあるし、きちんと運動してなければ体力も気力も衰える一方です
「読書が趣味だから読みたい本は無限にある!」と思っていても、老眼が進んで「30分も字を読むと頭が痛くなる」としたらどうでしょうか?
旅行が趣味でもそこまで頻繁に出かける気力(お金も)があるでしょうか?
僕たちは年寄りになってみないとその気持ちがリアルにはわかりません
ウォーキングが趣味でも人工関節になったらそんなこと言ってられないし、「盆栽を趣味にしよう!」といざやってみると思ってたほど楽しめないかもしれない
だからって、仕方なく1円パチンコなんかに行って毎日時間をつぶすのはあまりに哀しいと思うんです
そんな老後のために一生懸命働いてきたわけじゃないでしょう
大事なのは好奇心を失わないことだと思います
その時その気力、体力、持病、経済力で出来ることの範囲は決まるので、その中で楽しみを「見つけることができる能力」を保ち続けるのが大事だと思うんです
そのためには健康が必須ですし体力作りもかかせません
健康な心は健康な体に宿る、ってやつですね、まず自分自身が健康でないと好奇心も何もあったものではありません
退屈=虚無感=恐怖
気力のあるうちから準備するほうがいいと思います
ではでは