映画や漫画など、時代設定が古代~中世ぐらいだと物語によく「奴隷」が出てきます
鎖につながれて強制労働を強いられ、常に監視されて休むことも許されず、文字通り死ぬまで働かされる・・
といったイメージです
でも実際はそこまでがんじがらめにする必要はなく、ある程度は自由に行動させていたんじゃないかと思います
限定的な自由を与える代わりに簡単には外せない首輪などを装着させ、そこに「この者は誰それの奴隷である。捕まえたものには報酬として金〇〇を与える」と記載しておけば、簡単には逃げきれないと思い込ませ脱走を防ぐことが出来ます
※実際にそういった首輪が出土しているそうです
この心理的植え付けが管理には非常に役立ったんだと思います
命がけで脱走しても果たして逃げ切れるだろうか・・
逃げ切ったとしても知らない土地で生きていけるだろうか・・
それならここで我慢していたほうが・・
と思い込ませることが心理的な鎖になっていたんですね
もちろんそれでも脱走する奴隷はいたんでしょうが、全体からすると少なかったんじゃないかと想像できます
それにあまりにも締め付けをキツくすると不満が爆発してしまいます
数で考えると奴隷の所有者よりも奴隷のほうが多かったはずですから一致団結されると所有者自身の身が危険です
そのために彼らは不満の矛先が自分たちに向かないよう奴隷の中に上下関係を作ります
奴隷の長を決めてその周りに幹部を配置して奴隷全体を運営させるんですね
そしてその長には所有者である自分との交渉権を与えます(ように見せかけます)
そうすれば大勢の奴隷の不満はその運営陣に向かうようになり「不満が解消できないのは奴隷運営陣のせいだ!」と思うようになります
「もっと待遇をよくしてくれ」
「体調の悪い日ぐらい休んでもいいじゃないか」
そういった不平不満が仲間であるはずの奴隷運営陣にぶつけられ、運営陣はそれをなだめたりたしなめたりしながら所有者にお伺いを立て、上手くいけばわずかながら待遇の改善につながったりしたんでしょう
運営陣は自分たちの力でつかみ取った(ように見える)小さな褒美を誇らしげに掲げ、それを手柄に仲間の元に帰り(所有者から特別に頂いた酒で)皆で祝杯をあげたりして、奴隷コミュニティにおける自分たちの存在価値を高めながら奴隷全体の不満の解消に務めます
それを見ている若者たちも「オレもいつかは奴隷運営陣に・・」なんて夢見るようになるんですね
奴隷たちは奴隷コミュニティの中にしか意識が向かないようにコントロールされているんです
一致団結すれば所有者を倒せるかもしれないのに、そんな想像すらできないように仕向けられています
皆で立ち上がって所有者を倒しそのビジネスをそのまま乗っ取ってもいいし、有志を集めて脱走し新たな土地で新たなビジネスを始めてもいいはずです
でもそんなことを言うと
「世の中そんなに甘くないぞ」
「悪いことは言わない、やめておけ」
「うまく行かなったらどうするんだ」
訳知り顔で年配の奴隷たちがたしなめてきます
俺たちだって若いころはそんな風に考えたこともあったさ
でもな、こうやってここで生きていくのもそんなに悪くないもんだ
俺たちが若いころは布切れを腰に巻くだけしか許されていなかったのに
見ろ?今は服を着ることを許されているだろ?
そうやって少しづつでもいろんなことが改善していけば
お前らが俺たちの歳になる頃は靴を履くことができるかもしれんぞ
ワッハハハハハ
そうやって視野の狭い凝り固まった理屈を聞かされているうちに、若者たちのココロに灯った独立心はいつのまにか消えてしまいます
誰だって独立するのは不安ですからね
年寄りの理屈を聞いてるうちにドンドン不安が大きくなり、結局それに屈して自分をごまかしチャレンジから逃げてしまいます
そして自分が年配者になった時に「俺たちだって若いころには・・」とまったく同じ話を若者に言って聞かせるんです
こうして奴隷同士で独立の芽をつぶさせることで、所有者は安定的な奴隷運営ができてビジネスは安泰です
しかも頭のいい所有者は奴隷のメンテナンスにも手を抜きません
奴隷はいくらでも替えが効くといってもリクルートには金がかかるし、同じ奴隷に安い賃金で長く働いてもらうほうが効率がいいに決まっています
だから奴隷同士で競争させ、成果を上げたものには少しばかりの褒美を与え、疲弊しているときは特別な休日を取らせてリフレッシュさせ、その後の仕事効率の悪化を防ぎます
時には月間100時間を超える残業を暗に強いることもありますが、平常時はノー残業デーを掲げたりプレミアムフライデーだとか言ったりします
そうやって奴隷たちは狭い檻の中で機械のように今日も淡々と働いていくんですね
※奴隷=労働者、所有者=社長、奴隷の長=部長、奴隷運営陣=課長とか主任とか、に置き換えてお読みいただきますとより一層の理解が得られるかもしれません