「自分自身と向き合う」っていうとなんだか、鏡に映る自分をじっと見つめるのを思い浮かべるかもしれません
映画のワンシーンでもありそうですね、鏡に写る自分を睨みつけたあげくそれを殴る、みたいな・・
映画というより90年代のカラオケ映像かな?
コテコテの三文芝居、実際はそんなことしてもただ自分に酔うだけです
「向き合う」ってそんなキレイなもんじゃなくて、それまでの経験、記憶、感情なんかと向き合うってことで、もっともっとドロドロしたものなんですよね
思い出したくない情けない記憶とか、ずっと目を背けてきた恥ずかしい経験とか、忘れたフリをしていた幼少期の心の傷とか・・
そういったものをひとつひとつ直視して、客観的に分析するのが「向き合う」ことだと考えています
そのためにはやはり「長い時間じっくりと思考する」必要があるんだけど、最初は集中力が続かずに長続きしません
思考にもトレーニングが必要なんです。
思考して、集中力が途切れて、また思考して、また気が散って・・
それでもめげずに続けると思考できる時間が少しづつ長くなっていき、段々と記憶の深いところまで潜れるようになります
そしてその深い場所にあるヘドロのようなドロドロしたモノと対峙することになるんです
なかなかにキツい作業ですが、これを続けていると「なぜ自分は今の自分になったのか?」という根っこの部分がおぼろげに見えてきます
そしてその「今の自分になった原因」を理解していくと、あるタイミングでパアッと視界がひらけて、肩の力が抜けます
腑に落ちる、ってやつですね。
「そうか、だから今の自分がいるんだ」という感覚。
その後はもう受け入れて開き直るしかありません
いやな部分がたくさんあっても「自分なんだから仕方ない」って感じです
その状態まで行けると人生はかなり楽になります
「自分をそのまま受け入れる」ってことになるのかな
でもそこにたどり着くまでは精神的にあなりシンドイので、すぐに面倒くさいふりをして逃げてしまがちです
でもそれじゃ何も変わらない。
うまくいかない原因の表面をすくってアレコレ対処しているだけじゃ、根本的な解決はムリです
本当に解決したかったら古い記憶まで深く掘り下げないとダメなんです
ドロドロと向き合わなくても生きていけますけど、それじゃ本当の意味で「自分の人生を生きてる」とは言えないんじゃないかな
だから歪んでしまうんです。
際限なく誰かを甘やかしてしまったり・・
使い切れないような量の何かを買ってしまったり・・
気持ちに余裕がなくすぐに激高してしまったり・・
なぜそんなことをしてしまうのか?
その答えは自分の中にしかありません
面倒くさいふりをして逃げてないで、頑張って向き合いましょう
ものすごくシンドイ作業ですが、乗り越えてしまえば人生が楽しくりますよー
ではでは