よく「関西人はエセ関西弁が嫌い」と言われますが別に嫌いではありません
「気持ち悪い」の一言につきます
靴の中に小石が入ったまま歩く、そんな気持ち悪さ
「バカにされている」なんて感覚はなくても、ニセモノ感が強すぎて背中がムズムズするんですよねー
最近よく観ている高校野球を題材にしたのアニメがあるんですが、チームの一人がエセ関西弁でものすごく気持ち悪いんです
イントネーションに違和感アリアリで
せっかく面白いアニメなのにそれが残念でなりません
野球の強豪校で全国から生徒を集めているので、その多様性を表現したくて関西弁が一人紛れているんでしょう
って他は?土佐弁とか博多弁とか方言はもっとありますよね
そもそもなんで一人だけ?
方言が一人混じっているぐらいで多様性なんて感じませんし、むしろ一人しかいないことが余計に気持ち悪さを際立たせています
原作もそうなのかな?(読んでないんです)
担当の声優さんも頑張ってるとは思うんですが、ネイティブからすると違和感しかありません
んで、今日いいたいのは
これって、どうにかならないのかなー?
ってこと
関西人の感覚で言うと、たとえ関西人という設定であっても不自然なイントネーションになってしまうのなら標準語のほうがずっとマシです
何年か前に阪神大震災時の再現ドラマで嵐の櫻井翔さんが新聞記者を演じていらっしゃいました
もちろん標準語のままで。
もしかすると「関東から転勤してきたばかり」という設定だったのかもしれませんが、関西弁のドラマに混じっている標準語に全く違和感は無く、物語に入り込んで観たのを覚えています
そうなんです!
エセ関西弁が混じる最大の欠点は「物語に入り込めないこと」なんです
不自然なイントネーションでせっかく物語に入っている気持ちが、現実に引き戻されてしまうんですよねー
それがモノスゴク辛い。
嵐の櫻井さんと言えば、本来の活動以外にもニュースキャスターを務めたりとものすごく忙しい方なので、負担を少なくするためだったのかもしれませんが、
この選択は正しかったと思います
あれがエセ関西弁だとなにもかもぶち壊しだったでしょう
映画やドラマでもよくありますよねー
関西人設定の若い俳優さんが十分なトレーニングも受けずに演じていて違和感アリアリのやつ
ホントに気持ち悪いんで、よっぽど物語がオモシロク無いと途中で観るのをやめてしまいます
関西人という設定でも「標準語で喋る」という選択肢をどうして選ばないのかな?
手がけた作品にニセモノを混ぜるのが嫌じゃないんでしょうか??
能力のある方が十分なトレーニングを受けて、その都度修正しながら演じればかなりのレベルまで行けるんです(映画「オカンの嫁入り」など)
そこまでのコストが掛けられないのなら、非関西人に関西弁を喋らせるのはもうやめてほしいと思います
これたぶん関西弁だけじゃなくて土佐弁とか広島弁とかでも、きっとそうなんでしょう
ただ、違和感はその地域の人間にしかわかりませんからクオリティの低下は限定的です
多くの地域の人たちは、その違和感に気づくこともないでしょう
でも本場に笑われるニセモノを作るってどうなの?
この「一部の本物には笑われてもその他大勢には気づかれないからいいや」って感覚がすごく嫌なんですよねー
誰の意向が影響してこうなっているのか、ちょっと考えてみましょうか
①原作者が「このキャラは関西弁でないと絶対ダメ!」
②監督が「原作で関西弁だからそれで!」
③所属事務所が「新しい一面を見せたいからぜひ!」
④本人が「新たな経験なので頑張ります!」
このうちのどれ?
①なら仕方ないかも、②はこだわる場所が間違ってるし、③はマイナス効果しかないですよって言ってあげたい、④はプロ失格じゃないかな?
もしくはそれ以外の何かがあるんでしょうか。
関西弁のイントネーションは(ネイティブにはわかりませんが)本当に難しいみたいなので、必要なコストをかけるのがムリなら標準語で喋らせるか、別の関西人をキャスティングして欲しい
作品の世界観を大事にするなら、まずは不自然さをなくすことに尽力して欲しいと切に願います
ではでは