例えば戦争を題材にしたドキュメンタリーを見た後に感想を聞くと「平和について考えさせられました」とか言ってしまいがちですよね
家族がテーマの映画を見た後は「家族について考えさせられました」、ヒューマンドラマだと「人生について~」、難病だと「命について~」
ありがちでしょ?
んで、そう言っている人にもう一歩突っ込んで「考えた結果どういう結論が出ましたか?」って聞くと
「え?ああ・・戦争は絶対ダメだなって・・・」とか
「人生ってホントいろいろなんだなって・・・」とか
大体そういうコメントが返ってきます
ようするに「何も考えてない」んですよね、これ
戦争はダメだとか、人生いろいろだとか、命が尊いものだとか・・
そんなことアタリマエでわかり切ったことです
今気づいたんじゃなくて元々知ってたことじゃないの?
もしそんな「わかりきったこと」に「映像を見るまで」本当に気づいていなかったとしたら、それはもう鈍感を通り越してどうかしてますよ
違いますよね?
考えた気になってるだけだから言語化出来ないんですよね?
だってまだ観ただけで何も考えていないから
中学生がそんなコメントしているんならまだわかるんですけど、結構な大人がそんな風に応えてると残念な気持ちになります
戦争がテーマなら平和について考えるのは当たり前だし、難病がテーマなら命の尊さを考えざるをえないんです
大事なのはそれを見終わった後に「どこまで突き詰めて考えるか?」だと思うんです
改めて考える時間をきちん作るのか?が大事で、それによって「自分なりの結論」に達するかどうかが大切なんです
重いテーマの映像を見ると、見ているだけでなにか考えてるような気になります
大事なことを伝えようとする本を読めばそれだけで思考を深めた気になります
でもね
見ている(読んでいる)間は情報を受け取っているだけで思考は全く深まっていません
本当に思考が始まると内容がアタマに入ってこなくなるんです
「思考が走りだす」という状態です
だからいい本を読むと思考が回りだしていつのまにか思考に入り込んでしまい「なかなかページが進まない」という状態になったりします
こういうのがホントにいい本なんだと思います
だからもし、まだあまり思考を深めていない段階でコメントを求められたら、「たくさん刺激を受けましたので今から時間をとってしっかり考えたいと思います」ってコメントすればカッコよくない?
しっかり考えて自分なりの結論に達して、言語化できるレベルまで落とし込みましょう
文章に書くのがオススメです、なんとなくボワーンと考えてるだけだと文章には出来ませんからねー
そうやって思考を深めると「自分なりの意見」をもつことが出来ますし、同じテーマで別の何かを目にした時にその「思考の到達点」から新たな思考を始めることが出来ます
ゼロから考え始めるよりもずっと深まりそうですねー
そうやって考えるたびに思考の「出発点の位置」が高くなっていけば、ドンドン洗練されていきます
「思考の到達点」は常にアップデートするのが大事だと思います
これがクセになると周りの見え方がちょっと変わってくるので「思考する人」とそうでない人がクッキリ判別できるようになります
そして、そうでない人との会話が退屈で耐えられなくなってしまうんですね
でもそれでいいんですよ
きっとね