「妬み」についていろいろ考えていたのですが、「平等感」がキーワードなのかな?って思いました
みんな同じだと思っている集団で、ある日「頭ひとつ飛び出す」人が現れるから妬みが生まれます
そして「足を引っ張る」ヤツが必ずでてきます
学校で延々と平等感を植え付けられたのも背景にあるのかもしれません
妬みと平等感は密接に関係してるのかな?と今更ながら気づきました
でも世の中に「平等」なんてあるの?
あるとしたらそれは「作られた平等」じゃないの?
なんて思っています。
生まれつき持っているものが違う時点で平等なんてありえません
それぞれ個性があって得意不得意なものは違いますよね
それを無理やり平等にしようとするからひずみが生まれて、シンドくなってしまうような気がします
そして、平等感を植え付けられた結果「これぐらいできてアタリマエ」とか「頑張れば必ず報われるはずだ」みたいな幻想をいだいてしまうんですねー
いやいやいやいや
できることには個人差がありますから、いくら頑張ってもダメなこともありますし、努力が報われないこともアタリマエにあるんです
生まれつき才能がある人はすぐにコツをつかんで成果も出やすいですが、才能がないと同じだけ努力しても思うような成果は出ません
双方が得られる成果にはかなりの差があったりして、それが世の中ってもんです
じゃあ「生まれつきの才能が全てなんですか?」って話なるんだけど、これって「才能がない人間はどうすればいいんですか?」ってことを言ってるんですよね
いやいや、しっかり自分と向き合ってください
なんの才能もない人なんているはずがない、ちゃんと探しましょう
少しでも興味のあることは手当たり次第にやってみる
「石の上にも三年」なんて無視して、面白そうなことは次々に試していく
もちろん失敗も多くするでしょう
でもそれをメンドウクサがると、見つからないんです
そんな中で時間を忘れて没頭するもの、夜寝る時に「明日はあれを試してみよう」なんてアイデアが浮かんでくるものが、
きっとあなたが好きで向いてるものであり、それがきっと才能なんだと思います
自分は何が好きで、何をしている時が楽しいのか?
それを見つけるのが第一歩です
「好きなゲームで頑張ろう!」って話で、「なんか違うなー」と思ったらさっさと撤退しましょう
楽しくないことを続けるのはツライし成果も出にくいハズです
モノにならない努力を続けるのは時間がもったいないですよね
でも平等感を植え付ける側の人は「お前だって頑張ればできる、諦めるな」なんて言ってきたりします
いやいやいやいや
そのゲームが本当に向いてるかどうか、しっかり分析してあげました?
向いていないのに「努力には価値がある」と思い込んで押し付けてるだけなんじゃないの?
それで成果につながらなかったら「頑張ったことはムダにはならない」って言うつもりとか?
まあ、クラブ活動ならそれでもいいと思うんですよ
「大会に優勝!」という成果に辿りつけなくても、努力した事自体は人生の糧になります
つらくても歯を食いしばった経験は人生のいたるところで役に立つでしょうし、仲間で助け合ったことで一生の友達ができるかもしれません
でもそれが仕事になると全く別の話。
契約も取れないのにガムシャラに頑張っても誰も評価してくれないし、なにより本人がツライ
何も考えずにただ頑張るだけでは意味が無いんですよねー
しかも「成果が出ないのに努力を続ける人」はそのうち、やたらとバタバタ動き回って「頑張ってるアピール」をするようになったり、あえて効率の悪いやり方を採用してやたらと作業に時間をかけるようになったりします
もう末期症状ですね。
どうやれば成果につながるかをしっかり考えて、場合によっては上司に相談して、最短でゴールに辿り着くように努力をしましょう(アタリマエデスガ)
いくら頑張っても成果が出ないならやり方を変えて、それでもダメなら向いてないんですよ
さっさと撤退して向いている仕事を探しましょう
日本は自由な国ですから「退職する自由」も「転職する自由」もあります
向いていない仕事で心をすり減らすより、好きなゲームを選ぼう!
そうすりゃきっと、仕事も楽しくなりますよ
ではでは