時々見かける「リードをつけずに犬の散歩をしている人たち」について考えてみました
あれ、どういうつもりなのかな?って不思議に思ってたのですが、いろいろ考えて行き着いた結論は「気の毒な人」です
どういうことか考えてみましょう
まず大前提ですが、あまり可愛がっていないから面倒くさくてリードをつけていないのでしょうか?
たぶん違いますね、過保護なぐらい可愛がって周りがあきれるような飼い方をしてそうな気がします
もしその犬が急に道に飛び出して車に跳ねられたりしたらどうなるでしょう?
ひどく悲しんだかと思うと烈火のごとく怒りを爆発させて、賠償だ何だとわめき散らしそうです
家族の一員だとか、人間と同じ重さの命だとか、自分のことは棚に上げてまくし立てるのが容易に想像できます
リードをつけていないのは自分なのに、です
では、なぜリードをつけないのでしょう?
おそらくこんな答えが返ってきそうです
「うちの子は道に飛び出したりしない」
「言うことをよく聞くいい子なんだ」
犬は頭がいいですが子供と同じで興奮すると周りが見えなくなります
興味をそそるものに気をとられると道に急に飛び出すこともフツーにあるでしょう
そんなことも想像できないのでしょうか?
これもたぶん違います
そういったことはわかっているのに、それでもあえてリードをつけないんです
相当歪んでますね。
「リードをつけなくても自分の言うことを聞いて勝手なことをしない」というのは自分の支配下にあるということです
それを証明するために、飼い犬を危険に晒しながらリード無しで散歩をしており、何事も起こらないことで「飼い犬が自分の支配下にある」ことを確認して、ちっぽけな自尊心を満たしているんです
裏を返すと、そんなことでしか自尊心を満たせないほどつまらない毎日を過ごしている、ってことなんですよね
それだけタイクツな毎日を送っている、気の毒な人たちってことになります
本当に可愛がっていればこんなこと怖くてできません
だって死ぬかもしれないんですよ
もしそうなってしまったら、この人たちの取りそうな行動は簡単に想像できます
悲しんで激怒して補償だなんだと要求して、一通り過ぎた後はまた新たな犬を飼って同じことを繰り返すんでしょう
ホントにはた迷惑な人種です。
改めて意識して見ていると、リードをせずに散歩してる人は年配の男性が多いことに気づきます
これまで仕事しかしてこなかったため、定年になった途端、自尊心を満たすものがなくなってしまったんでしょう
だからといって命を危険にさらすのは本当にやめて欲しと思います
つまらない生活を送っているのは全部自分のせいですよ
それに、轢いてしまったほうも気の毒です
どんなに注意して運転していても急に飛び出してこられると回避するのは難しいし、きちんと謝罪して賠償しても罪の意識が消えることはないでしょう
「相手の人も不幸にしてしまうかもしれない」
そんなこともわからなくなるぐらい想像力がなくなるのは罪なんだなー、って思いました
罪深い人は周りを不幸にするんですね、気をつけましょう
ではでは